自動車評論家・御堀直嗣氏が斬る2025年EV市場【前編】「日本のEV市場は踊り場にも立てていない」

電気自動車(EV)の普及が世界的に注目される中、日本市場は依然として低迷状態が続いている。「踊り場」とも呼ばれる現状だが、果たして本当に踊り場なのか。30年以上にわたってEVを取材し続けてきた自動車評論家の御堀直嗣氏は「踊り場というレベルにすら達していない」と厳しく分析する。2025年上半期のEV市場の現状と、普及を阻む根本的な課題について詳しく聞いた。

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。EVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

【外部ライター】KY

中古車派のドライブ好きライター

家族を持ったことがきっかけで自家用車を購入し、子どもの誕生などライフスタイルに合わせて買い替えて今は3台目。旅行先ではレンタカーを借りて、いつもと違う車でのドライブを楽しんでいます。安全性と運転のしやすさ、デザイン重視。新車だと手が出ない車種に乗れるので中古車派。リセバ総研で書き始めてからは街で走っている車についつい目が行きます。日常とレジャーで年間1万キロほど走っている、一般的なカーユーザーの視点をお届けします。

スズキ e VITARAが象徴する日本メーカーの"ようやく一巡"

  • 【外部ライター】KY

    2025年8月までを振り返って、最も印象的だった出来事をお聞かせください。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    特に印象に残ったのは、スズキ自動車の電気自動車「e VITARA」が826日にインドで出荷開始されたことです。私は千葉県袖ヶ浦のテストコースで試乗しました。まだ試作車段階ではありましたが、見た目も作りもほぼ市販車に近い仕上がりで、長年自動車を作っているメーカーが手がけただけあって、とてもまとまりの良い電気自動車でした。

     

    電気自動車としてのヒューマンマシンインターフェースや操作性については、まだまだ発展してほしい部分がありますが、クルマという乗り物の仕上がりとしては非常に完成度が高い印象を受けました。

     

    国内営業の担当者が私に「EVをどう売っていったらいいのか、そのためにはどういう見方やアプローチが必要なのか」という相談をしてきたことに本気度を感じました。単にメーカーとして良いものを出しましたよ、というだけでなく、営業担当者もディーラーに対してしっかり売っていく方策を練って出すんだ、という熱意を感じました。

  • 【外部ライター】KY

    e VITARAの意義をどのように捉えていますか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    e-VITARAには大きな意義があります。これによって国内乗用車メーカー8社すべてが、何らかの形でBEVを世に出した、あるいは間もなく出そうとしているという状況が整いました。ダイハツも直接乗用車は出していませんが、ダイハツが開発した商用車の軽ワゴン(軽バン)をトヨタとスズキで2025年度中に販売予定です。

     

    つまり、日本の全乗用車メーカーが、直近のリチウムイオンバッテリー時代の電気自動車を「一度は作ったことがある」「一度は世に出した」というところまで、ようやく到達したのです。濃淡はあっても、これは一つのトピックになると思います。

「5ナンバーEVの空白地帯」を突くヒョンデ INSTER

  • 【外部ライター】KY

    他にも注目している車種があれば教えてください。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    今年上半期の主役と呼べるのは、韓国ヒョンデのINSTER(インスター)です。これは非常に重要な意味を持つクルマです。

     

    実は、日本には軽自動車を除いて5ナンバーで買える小型のBEV1台もないんです。欧米で大衆が乗れる小型で安価な電気自動車が出てきて市場が復活し始めているという話をしましたが、日本ではそういう5ナンバーのBEVがトヨタ、日産、ホンダのいずれからも出てこない。これは致命的な問題です。

  • 【外部ライター】KY

    5ナンバーEVの重要性はどこにあるのですか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    新車販売の上位に名を連ねる車種は、BEVに限らず5ナンバーのクルマが根強い人気を持っています。そこに日本車のBEV1台もなく、軽自動車からいきなり3ナンバーの大型車に飛んでしまいます。

     

    軽自動車でも、私は実際にサクラに乗っていますが、小型車と比べても遜色ない走り、乗り心地、使い勝手を持っています。小型車を買う意味を感じないほど、軽自動車とは思えない性能です。

     

    しかし、経験したことのない人には「いくらBEVが良いと言ってもサクラは軽じゃないか」と思われがちです。そこにヒョンデのINSTERのような5ナンバーで買えるクルマが、トヨタにもありますよ、日産にもありますよ、ホンダでもやってますよ、と言えたら、それなりの人が一度試乗しに行ってみよう、見に行ってみよう、ネットで情報を集めてみよう、月々いくら払えば乗れるんだろうか、と前向きな気持ちになれるはずです。

  • 【外部ライター】KY

    INSTERの魅力について詳しく教えてください。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    INSTERの魅力は、まず5ナンバーであることに加え、ヒョンデがすでに日本市場に投入している2台のSUVタイプBEVでお客様の評価やフィードバックを蓄積していることです。それらの情報がINSTERには十分に生かされています。

     

    車体は小型で価格も抑えられているのに、上級車種に負けない商品性、満足度を持っています。場合によっては、BEV性能としてはヒョンデの中でも最先端かもしれません。アップデートされた技術が投入された小型BEVなので、これは買うしかないかな、と思えるほどの仕上がりです。

     

    私は軽のサクラで満足しているのですぐに乗り換えることはないと思いますが、それほど完成度の高いクルマだと評価しています。

  • 【外部ライター】KY

    なぜ日本メーカーは5ナンバーEVを出さないのでしょうか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    本来であれば、日本の道路事情や駐車場事情を最もよく知っている日本メーカーが率先してやるべきことを、海外メーカーに先を越されてしまったわけです。これは深刻な問題で、韓国メーカーが5ナンバーBEVを日本に持ってきて売り出したということ自体が、2025年上半期の大きなニュースだと思います。

     

    この状況が続けば、日本の消費者は海外製の5ナンバーBEVを選ぶことになり、日本の自動車産業にとって大きな機会損失になるでしょう。

「踊り場」ではなく階段すら上っていない普及率

  • 【外部ライター】KY

    BEV販売が踊り場に来ているという指摘がありますが、この現状をどう分析されますか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    『踊り場』という表現自体が、日本の現状を正確に表していないと思います。踊り場というのは、一度階段を上がった後の平らな部分を指すわけですが、日本の場合、そもそもパーセンテージが全然伸びなかった、つまり階段すら上がっていないというのが実情です。

     

    瞬間風速的に伸びたのは、3年前に日産サクラと三菱eKクロスEVが発売された時だけ。それまで日本のBEV市場は新車販売の1%以下という惨憺たる状況でしたが、これらの軽BEVの登場で34%弱まで瞬間的に伸びました。しかし現在は再び12%程度に下がってしまっています。

     

    踊り場と言えるほど、一度伸びやかに増えたということは日本ではありません。海外でも似たような傾向は見られましたが、日本は特に顕著です。

  • 【外部ライター】KY

    海外との状況の違いはどこにあるのでしょうか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    海外、特にヨーロッパでは状況が大きく変わってきています。最も大きな要因は、リチウムイオンバッテリーの価格下落です。

     

    これまでBEVが高価格だった最大の理由は、リチウムイオンバッテリーの原価が高いことでした。どうしても新車価格が高止まりになり、競合となるハイブリッド車やエンジン車に比べて割高になってしまう。高いため、アーリーアダプターと呼ばれる消費者に買ってもらうには、相当な付加価値が必要でした。

     

    そのため、国内外問わず、ほとんどが高額な上級車種、大型で高級車と言われるカテゴリーからBEVが導入されました。しかし、ベンツやロールスロイス、フェラーリ、ポルシェを買える人の数は限られていますから、そうした層が仮にBEVに買い替えても、いつかは頭打ちになります。それが数年前の欧米の状況でした。

  • 【外部ライター】KY

    転機はどこにあったのですか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    転機は中国がリン酸鉄系バッテリーの大量生産を可能にしたことです。性能は従来のバッテリーに比べて若干落ちますが、たくさん積めばそれなりの性能が出せますし、何より原価を大幅に抑えられます。これにより、いわゆる大衆車、庶民が乗れる価格帯のBEVを作れるようになったのです。

     

    アメリカのテスラも、リン酸鉄バッテリーを採用するようになりました。さらに、工場をアメリカ国内だけでなく中国やヨーロッパに展開し、地産地消を実現することで輸送コストを削減し、割安感を出しています。

     

    端的な例が、テスラが中国工場で製造したBEVを日本に導入した際の価格変化です。中国から持ってくるようになった途端、80万~100万円も安くなったんです。それで一気に売れた時期が34年前にありました。

補助金の地域格差が生む「東京一極集中」

  • 【外部ライター】KY

    政策・規制面での課題をどう見ていますか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    補助金は、現在のバッテリー分の割高感を考えると当面は不可欠です。ただし、補助金にずっと依存していいとは思いません。

     

    軽自動車の電気自動車は、補助金を活用することでエンジン車のターボ付き最上級グレードと横並びの価格で手に入れられるようになりました。サクラやeKクロスEVの販売が一時期伸びて市場占有率が34%に上がったのも、価格が買えるところに近づいたことが大きな要因です。

     

    しかし問題は、補助金の地域格差です。

  • 【外部ライター】KY

    具体的にはどのような格差があるのですか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    東京都には都独自の補助金があり、これが相当効いているんです。国の補助金と合わせると80万~90万円も安くなります。軽自動車のBEVが相当安く購入できるようになるわけです。

     

    ところが、そこまでしっかりとした補助金制度を持っているのは東京都だけです。他県でもゼロではないところがありますが、本当に微々たるもので、例えば大阪には補助金がありません。

     

    これは単なる補助金の問題だけでなく、BEVに対する価値をどう将来に向けて位置づけるかという国としての政策が定まっていないことの表れです。力強さというか、啓蒙やPRも含めて不十分です。

     

    自治体によって補助金の有無に差があるのは仕方ない面もありますが、東京都はちょっと裕福すぎて大盤振る舞いになっています。そこまででなくても、せめて大阪や愛知のような、自動車産業の城下町を持つ大都市は、金額はともかく、しっかりとEVを導入していくんだという姿勢を示すべきです。

メディアも見落とす充電インフラ問題の本質

  • 【外部ライター】KY

    充電インフラについてはいかがですか。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    充電インフラの問題は、メディアの報道も含めて根本的に間違った方向に向かっていると考えています。

     

    東京都は今年から新築マンションに充電設備の設置を義務化していますが、これも東京都だけの取り組みです。新築マンションと言っても、多くの方が住んでいるのは何十年も経った既存のマンションですから、そこへの対策なしには解決になりません。ただ、世の中の目をそういうことの大切さに向けさせる、お金だけじゃない、ちゃんと政策としてBEV導入環境を整えようという姿勢を示しているのは評価できます。

     

    問題は、戸建てでも家で充電できていない人が多いことです。古い住宅地では家に車庫がなく、月極駐車場を借りてクルマを置いている方も多いんです。マンションの駐車場以上に、月極駐車場に200Vコンセントを設置することはほとんどできていません。

  • 【外部ライター】KY

    月極駐車場への充電設備設置が進まない理由は?

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    マンションには管理組合問題がありますが、月極駐車場の場合は地主の意向や社会に対する意識、不動産業者との関係など、より複雑です。そもそもそんなニーズがあることを知らない地主も多いでしょうし、知っていても『今でも駐車場は埋まっているから、わざわざBEV用の準備をする必要はない』と考える人がほとんどです。

     

    さらに『月極駐車場をやるより、コインパーキングに貸した方が利益が出る』という経済性だけを考える地主も多いのが現実です。

     

    都市部の住宅事情では7割前後が集合住宅です。そこに家で充電できる設備が整わない限り、急速充電器をいくら増やしても日本にはBEVは普及しないと考えています。

「急速充電至上主義」への警鐘

  • 【外部ライター】KY

    メディアの報道姿勢についても厳しい見方をされていますね。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    これは非常に重要な問題です。テレビも含め大手新聞社も、充電問題というと『急速充電器の数を増やす』『急速充電の高性能化』ということばかり言って、『ガソリンスタンドの代わりに5分で充電できればみんなBEV買うんじゃないか』と思っているんです。しかし、それは根本的に間違っています。

     

    自宅でゆっくり200Vで一晩かけて充電できるというのが、BEVの最大の魅力なんです。これは電気自動車の問題だけでなく、日本の電力事情を考えても重要です。

  • 【外部ライター】KY

    電力事情との関連を詳しく教えてください。

  • 御堀直嗣(みほり・なおつぐ)

    電力消費量は、日中の時間帯が最も多く、夜中が最も少ないという波形の消費構造を毎日繰り返しています。昼間のピーク時間帯に高性能充電器でガンガン充電したら、発電所がいくつあっても足りません。

     

    家で充電する意味は、最も電力消費量が減る夜中にみんなが充電することで、夜の電力消費量の落ち込みを改善できることです。電力会社も、昼にガンガン発電して夜は発電を抑えるという電力調整をしなくても、夜は夜でBEVがちゃんと充電してくれる、昼間は皆さんエアコンを使うから、そこにBEVが上乗せで急速充電したら手に負えない、という状況になります。

     

    電力会社からの節電要請はないものの、余裕があるわけではありません。そこにEVの急速充電を大量に上乗せしたら、システム全体が破綻します。

     

    メディアは『急速充電を増やせばいい』『急速充電を高性能化して数百キロワットで充電できればいい』ということばかり言って、日本の電力事情にまったく配慮しない記事を垂れ流しています。媒体の責任も非常に大きいんです。

まとめ

スズキのe-VITARAやヒョンデのINSTERなど魅力的な車種が揃いつつあるBEV。日本ではなかなか台数が伸びないものの、充電のインフラ問題が解消していけば欧米なみになる可能性は秘めています。今後の展開に引き続き注目していきます。